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つぶやき

【つぶやき】”人生9割方生まれで決まる”は確かにそうかもしれないが

この記事を書いている人の似顔絵と一言

人生は、生まれで来まるという話。

それは9割9分そうらしいとよく言われている。

そして自分もそんなところを感じながら生きてきたところもあると思う。

しかしこれを何かにつけては言葉に出したり、

このことを強く協調することに何か意味があるのだろうか?

それは疑問だ。

例えばプロ奢ラレヤーさんが書いているこの記事。

「みんな凡人なのに『成功できる』と勘違いしないほうがいい」24歳無職が人生を諦めた理由

「みんな凡人なのに『成功できる』と勘違いしないほうがいい」24歳無職が人生を諦めた理由 「何者か」を目指してはいけない (2ページ目)
「基本、人は変われない」と言いましたが、ある種その逆を行くものとして、特に若い世代で人生しんどそうな人は、壮大な「何者か...

タイトルは目をひくためにあえてこのように書いていると思うが、

しかし半分は、最初はこの人にとってこの感覚は事実そう思っていたのかもしれないとも思う。

しかしこの人は実際には自分にそういうブランドを付けたビジネスを行っている訳で、

本当に人生を諦めたかというとそういう訳でもないだろうと思う。

そして実際に記事の中で書かれているのは、

世の中で”これが幸せ”、”ここを目指せ”とこれまでされてきたものに囚われず、

もしくはどうやっても手に入らないものに執着して人生を無駄にせず、

自分が思う”幸せ”だったり、今すでにある”幸せ”だったり。

”人生に求めること”だったり。

もしくは”今ある人生”に満足出来る部分があればそれでいいじゃないか。

恐らくそういうこと。

何故急にこの”生まれで人生決まる話”について書きたくなったかというと、

今年はやたらとそんな話を聞く機会が多かったからというのもあるだろうか。

それはそうかもしれないが、そんなもんかねぇ~と自分の中で考えていたのもあったかもしれない。

例えば、自分が尊敬する人の話をした時のこと。

自分と同じようなごく普通の一般家庭から、子供の頃からかなりの努力で、自分はどう頑張っても生まれ変わっても入れないしやれることも特に何もないだろうなぁと思われるような会社へ入り、未来へと繋がる仕事をしている人の話をした時。

子供のころから才能の芽が出るまで努力し続けられることがスゴイし、そこまでの頭が自分にはないし、子供のころからそこまで計画的にこれなかったのだけども、ないなりに自分も頑張りたいな~と思う、そんな話をした時のこと。

でも結局は生まれだから、年収何千万、何億レベルの富裕層の過程に産まれて、エリート教育を幼稚舎の頃から受けてきた誰々さんのお父さんは、その会社でも多分かなり上の層にいるって話だし。

頑張っても一般家庭の生まれの私達(その人も)、そこ止まりだからね。

という返しがきて、何と言ったらいいか戸惑ったのを覚えている。

何故戸惑ったかというと、それを結構意外な人、その人自身が結構努力家で頑張ってきている人が、その話をしていたから。

まあ後は別にその上にいけないとかの前に、そこにすら私はどう頑張ってもこの自分の頭では行けそうにないぞ感がすごいので( ^^;)

やはり私にとってはその人も十分すごいぞ??めっちゃ憧れるけどなぁ~と思ったりね。

しかしよくよくその後も話を聞いていると、

富裕層生まれへの憧れだったり(これは誰しもが持つものかもしれないが)、

はたまた努力してやりたいことへ向かう人と、天才とをやたらと比較するところがあったり。

もともと区別されたものだ、どうにもならないものだと割り切った世の中の方が

都合がいいと思う人も居るのかもしれないな。。

世の中には一定数、がむしゃらに頑張ること、目標や夢に燃える姿、こつこつと努力で進むことを笑う人と言うのは必ず居るものなのかもしれない。

努力をややさげずんだ感じともとれない言葉をさ、

しかも割とその人自身が努力、努力で頑張ってきている人だと思っていた人から聞いてしまうと、

そしてそれが、自分もいつも一緒に頑張りたいと思っていた人からの言葉だったりすると尚更、

やや寂しい感じもしたりね、、。

そこまで上が目指せないということが例え生まれで決まっていたとしてもだ。

今の仕事はただなんとなく過ごしていてつけた仕事のはずがないよなぁ??と。

少なくとも最初はやりたくてやっていたところもあったはずじゃん?と。

今は楽しみはひとつもないのか???

もしないとしても、全く興味のない仕事をしている訳でもなく

日々それなりに美味しいと思えるご飯も食べれる。

その今って、そんなに悪いものなのかい??

その一部の富裕層になれなきゃ人生終わりかい?

なんて思ったり。

基本的には自分は、

”人は人”、と思って基本は人付き合いしてきているので、

別に誰がどう思っていても別にいいのだけども、

結構熱くがんばってきたであろう人からそういう言葉を聞くのは

なんとなく寂しいものだったりはしたのだった…。

同じ氷河期世代で、ここで会うまでもお互い頑張って、頑張って、

頑張ってきたはずじゃない。

さとり世代のようなことを言うなよ~~~。と。

関係ないけど悟り世代ののちに登場した最近の世代をZ世代というのかな?

Z世代の主義・思考は割と好きな方かもしれない。

まあそんな時のことも含めてポツリポツリと、そんな話を聞いたりして。

そしてこの記事を書いている。

私は天才的能力を持ったひとや、天才肌の人の話を聞くのは結構好きな方だ。

自分にはない発想だったりを感じられることが多いから。

富裕層の暮らしに興味がない訳でもない。

自分が普段まったく触れることのない話は驚きの連続だったりするし。

しかしやはり、特にごく一部の富裕層の話は関わりがないからか、

もしくは例えば自分がそういう家に産まれて幼稚舎の受験を受けさせられ、そういう道を歩む道が敷かれていたとしても、何か成功できたか、幸せに暮らしていたかと言われたら、

絶対そうだと言えない気がするからかもしれないが。

そんな世界もあるんだな~くらいに思う感じで終わる。

海外旅行も行き放題、ビジネスクラスどころかファーストクラスで行けたりするのか?

夢は確かに広がるなw

まあでもそこに執着することはない。

今、日々夢中になって取り組んでいることがあったり、

細々とでも、日々趣味を楽しむ時間が持てることの幸せだったりを感じているからかもしれない。

働いても働いても赤字で、趣味に費やすような時間もほぼとれないような生活をしてきたこともあった。

しかしその仕事自体に、”先々はどうしたい”がいつもあったから

どうにか動けてきたのかもしれない。

人は、最終的には自分の思いということなのかもしれないな。

私も、希望をなにひとつ感じられなかった時、

やはり頑張ればどうにかなるとか、どうしたい、どうなりたいとか、

そんなことひとつも、思えなくなりそうな時もあったので、、。

さてさてそんな刺激的で自分とは無縁な世界の話も興味は多少はあるが、

しかし同じくらいに、

生まれに関わらず努力型の人がどんなことであれ夢に向かって、

やりたい事、求めることに向かって

突き進む話。

苦戦する話だったり、うまく行かなくても頑張り続ける話。

もしくは挫折してどうしようもない状態に居る時の悩みだったりの話。

悩んで悩んでどうしようもない状態でも一筋の光を見つけようとなんとかあがく姿。

頑張って突き進んだ末に成功した話。

もしくは何かを諦めた経験があるけど、今はコレに向かっている、といった話だったり。

そういう話が、かなり好きだったりする。

頑張っている人は応援したくなるし、

努力を重ねて、自分にはとても出来なそうなことにチャレンジしていく人の話を聞くと、

自分も刺激を受け頑張ろうと思えるからかもしれない。

頑張ってもどうにもならないことの方が多い時代に、

自分が思い描く人生や目標、やりたいこと、夢へ向かって努力していくことは、

無駄なことなんだろうか・・・?

自分が手に入れられる領域と、どうあってもどうにもならない領域をしっかり見つめることは必要だとは思うけど。

『がんばってもしょうがない』

が蔓延したこの世の中はどこへ向かっているのか・・・?

蔓延したと書きつつ、身近なところでは全く蔓延してるのを感じたことはあまりなく、

一部そういう子が以前よりは増えたかなぁ、と思ったりすることはあるにはあるが、

それでも日々みんな頑張っていると思うのだけども。

悟り世代と言う言葉が出てきた時点で恐らくはすでに蔓延してきている状態だったのだろうから。。

二極化が進む社会において、さとり世代と言われる世代が出てきたのも必然的な流れだったのだろうが、

今後ますます、二極化が進むとされる中で、

誰しもが、”あきらめの気持ちだけ”で生きていかないために、

そして人生や世の中に絶望しないために、

自分なりのやりたいことと出来ること、

自分なりの幸せを

自分で見つけていくことが必要なのかもしてないなと、

思ったりしています。

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