こんにちは、hibikiです。
今日はコロナ禍で加速したペットブームについて感じていることを書きたいと思います。
コロナ渦で増えた 捨てられた動物たち
まずはこちらの記事をご覧ください。
コロナで在宅の時間が増え、時間を持て余しているから。
ペットショップで一目ぼれしたから。
ペットを飼い始めた理由としてこんな話を聞くと、なんとなくその先を想像して不安がよぎったりしますが、
実際、先の記事で取り上げられているように、飼ってみたらみたで、
『飼うのが面倒になった』
『思ったよりも手間がかかる、世話が大変』
『状況が変わって家に居る時間があまりなくなった』
『子供が出来たりと家庭環境が変わって』
こんな理由で捨てられてしまう動物達が居るのです…。。。
団体が保護した犬猫と里親(飼育希望者)をネット上でマッチングさせるサービス『OMUSUBI』でも、コロナ以前に比べ2倍以上に登録が増えているとか…。
本当に大変なのは、そう言って軽く捨てる人に飼いたいと目をつけられてしまった動物の方です…。
動物はモノではありません。
私達と同じように呼吸をして、いろんなことを感じながら日々を生きる、ひとつの命です。
そんな当たり前のことが分からない人は、そもそも動物の飼育に向いていないでしょうから、飼うべきではないと思います。
飼うお金があるか時間があるかも大事ですが、それはこの最低限の当たり前のことが理解できた上で、その上ででは実際に今後動物が生きるであろう20年30年とお世話ができる時間があるか、お金があるか、手間をかけられるか、愛情をかけられるかといったことを考えていくべきではないでしょうか。
同じ命であることが理解できない人はまず、飼うことを絶対に視野に入れないで欲しいです…。
例えば動物を飼うのに(一部の特定の動物を覗き)実際にはライセンスがないですが、本来はラインセンスがあり、その最低限クリアしないといけない項目に、”動物のことも同じかけがえのない命と心から思えるか”といったような条件があってしかるべきなのでは、とよく思います。
そしてそれは飼うか検討する側だけでなく、動物に関わるすべての人に必要なことなのではないでしょうか。
動物の遺棄は犯罪です
愛護動物の遺棄は犯罪です。
1年以下の懲役または100万円以下の罰金
と法律で定められています。
なんでこんな法律がないと(あってもですが)、そんなことが起きるのかと悲しい気持ちにもなりますが、、、
簡単に捨てることが出来る人が例えば大人なら、今からその価値観を変えることは相当に難しいのかもしれないと思います。
そういった人はどうやって子供に命について教えるのだろう?という話を友人達とした時に、話の終着点はこうでした。
恐らくそういう家庭ではそれが当たり前の価値観で通っているから、特に何も疑問に思わないーーー。
価値観を変えるというのはなかなか難しい話なので、法律が必要になってくるのかもしれません。
なんにせよ、自分で一度飼うと決めた命に最後まで責任をもつ。
それが出来ないのなら飼わない。
これを誰もが徹底するようになって欲しいと、切に願います。
しかし、しっかりと将来を検討して、じっくり時間をかけて、それで飼っていたとしても、
その上で、それでも人生というのは日々何が起こるか分かりませんので、
どうしても飼えなくなってしまったということもあるかと思います。
その時はせめて自分で、
●まずは身の回りの人に一定期間預かってもらうか里親になってもらえる人が居ないかを探す。
●居なければいくつか里親を探せるサイトがあるのでそちらで探す
●どうしようもなければ動物愛護団体を頼ってみる(動物愛護団体の方もだいたいがボランティアで成り立っていて日々そんな動物達を保護されているので余裕があるかも分からないですが、捨てるよりはまだマシです)
このようにして、なんとかその子が生きていける未来を確保することが、その子を一度飼うと決めた責任を自分では全う出来なくとも、最低限やるべきことではないでしょうか。
社会全体で意識を変えていく必要性
私ももっと若い頃は、ペット産業の裏側にこんな現実があることも知らず、深く考えたこともありませんでした。
ペットショップの近くへ行けば、可愛い子犬や子猫たちに会いたくてちょっと立ち寄ってみたりなどしたことも結構あります。
その頃は能天気に、ただただ可愛いなぁ~の感情しかなかったように思います。
しかしその頃も、例えばこの子は他の子に比べて結構大きいなぁ・・とか、なんだか手入れもされてない様子だったりすると、可哀そう…とその後が気がかりで仕方ないようなことはありましたが、しかしそれ以上に深く考えることはなかったですね。。
ですが、保護犬や保護猫の掲示板を知り、保護犬猫のことを良く考えるようになってから、いろんなことを調べて知るようになり。それからはその現状に疑問しか持たないようになり、改善の必要性を強く感じるようになっていきました。
では何ができるのか?というと大したことが出来ないのが辛いですが、
せめて今出来ることを、例えば保護団体さんの支援としてフードを送るとか寄付するとか、こうして話を広めるとか、身近なところからでも日々そういった話をしていく、そして一番大事なのがうちの犬猫たちを最後まで大切にする、といったことだと思っています。
後に最後に添付させて頂く動画の中で、その方が話されていたのが、
このようにおっしゃっていて、これはいじめを見て見ぬふりをすることと似ているなぁと思ったりなどしたのですが、
”動物は可愛いと言いながらこの酷い現状については特に何も言うことなく、そんな社会を許しているということは、殺処分という現状が続いている状況に消極的に加担しているということなのでは”
そんな話をされていて、これはあらゆることでそういった事が起きていると、感じました。
自分事に感じないことは、うっすら酷いと感じていても、見て見ないふりをする…。
私もですがそれぞれがきっと、自分ひとり生きていくにも精一杯かと思います。そうじゃない人もいるかもしれませんがそういう人の方が多いのではと思います。
ひとりひとりに出来ることは限られていて、すべてに注目していたらとても時間も気持ちも追いつきません。
しかし、この命に関することを、放置していいのか・・!??
いい訳がありませんね。
しっかり自分の意見や意思を身の回りの人に伝えていくだけでも、ジワジワと変わってくることもあると思います。
ここでじゃあ誰もが真っ向からこの問題に向かい続けられるのかというと、自分も本当のところいつもこのことを考えていると心がもたない…というの気持ちもあります。。
それくらいにあまりにひどい話、ひどい状況、悲しい現実だと思うからです、、、。
あまりにも悲惨なことというのは、特に感受性や共感能力が高いタイプにはなかなか、ひどいとウツのような感じになってしまう場合も実際にあり得ますので、私は強要はできないですし、直視しない人を責めたり批判することもできません。
誰もがまずは自分を守ることを一番に考えることが大事だと私も思っているし、その上で助け合ったり、こういった支援活動をする、でないと、何かを変えたり助けたいというのはそんなに簡単なことではないのですよね…。
難しいところですが、出来る限りでやれることはしていきたいというところです。
私はくぅちゃんやメイ、ビビとの暮らしの中で、犬猫達にも意思や感情がありそれを日々伝えてくれていることを感じてきました。
人を信じて、人にまっすぐに向き合う心があること。
一緒に過ごす時間が増えるほどかけがえのない大切な存在になっていくこと。
それは他の人間の家族に対するものと何も変わりのないこと。
そういったことをこの子たちは教えてくれました。
そういうこの子達への恩返しがしたいという意味でも、捨てられる犬猫たちそして殺処分される命がまだある現実を変えていきたい。
そう思うのです。
長くなりましたが、貴重なお時間を使ってここまで読んで頂き、ありがとうございました。
最後に、先ほど最後に添付すると書きました動画になります。
少し前の動画になりますので、その後動物愛護法が一部改正されたりなどはありますが、その後今もペットの問題はこうして続いているのが現状ですので、その問題について力強く訴えてくださっている本動画を紹介させて頂き、今日の記事を終わりにしたいと思います。
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