こんにちは、hibikiです。
SF祭りな連休を過ごしております。
オデッセイ、アイロボットに続き、3作目のチョイスは『アンドリューNDR114』。
これが、1999年とかな~り前の作品なのですが、なかなか考え深いものがありました…。
この記事はこんな人にオススメです。
『アンドリューNDR114』のあらすじ 監督・キャスト
人型家事ロボットとしてマーティン家へやってきたNDR114。アンドリューという名前をもらったNDR114はマーティン家に歓迎され人生を共にすることに。特に次女アマンダ(リトルミス)はアンドリューにとても親しみを感じるようになる。それから人との暮らしの中で次第に自由を求めるようになるアンドリュー。そして家族の結婚、死。人への憧れを抱き、人間になりたいと強く願うアンドリューは人間に恋をし、人間の感情をもつようになるーーー。
原題は『Bicentennial Man』。2世紀の男(200年生きた男)という意味らしいです。
原題の方が分かりやすいですね。
今よりもこの1999年では、IAについてまだあまりどうなっていくのか少し遠い未来の話でしたよね。
なので最近のSFよりも想像に頼る作品になるのかな、ということを想像しながら序盤観ていました。
実際、なんだか見た目はガチガチのロボットというよりロボットに寄せた鎧を着た人なんですね。
時代を感じます。
動きだったり、喋りだったり。
現在作られるSF作品に出てくるアンドロイドはかなり頭がよく、最初からロボットっぽさを見せないものも多いですね。姿はほぼ人間、みたいな感じだったり。しかしそれなのに人と変わらないと言われるとどことなく違和感を感じるし違うと言いたくなるようなーーー。
アンドリューは少しずつ進化していくのですが、進化する前の姿が、やはり時代のせいか多少作りに無理があると感じるものの、逆にその鎧だけロボット感だったからか、というのは中身は最初からだいぶ人間に近いように感じたからか、あのコミカルな姿なのにかなり感情移入してしまうんですね。
たまーに、家族が話している言葉に傷ついていたりするんですよ…。
そして芸術や創作を楽しむココロを持っているーーー。
結局、アンドリューはバグかあえてそう作られたのかは分かりませんが、人間に近い設定で作られた特別なロボットという設定だったのですが。
違和感を感じたのはそこです。
結局、それだけの頭を組み込む技術があるのなら見た目ももう少し変わってくるだろうな、今ならーーー。といったところだったのだろうと思います。
わざとらしくロボットの皮を被っている感じがするんですね。
SFやアンドロイドものの見過ぎでしょうか?(^^;)
少なくとも、この作品が作られてからだいぶ経った今見たからの感想でしかないのは間違いなく、
当時はかなりすごいクオリティだったことが想像できます✨
というのは、ガチガチに鎧を着ているような感じで、中に人が入って動いている訳ですが、関節部分が良く作られているのか、かなりスムーズな動きなんですね✨
普通に動けてしまうので、あえてロボットの動きをカクカクっと意識してさせているような感じでした。
1999年の当時のロボットというと、そんなにロボットが昔から好きではなかったのもあり、ガンダムとかエヴァとかしか思いつきませんが💦
アイボとかもその頃ですかね。
先日感想を書いたアイ,ロボットはその5年ほど後の映画ですね。
アンドリューは当時結構面白い作りだったのではと思います。
目の表現も結構感情を読み取れるように作られているんですよね。
そうやって見て行くとかなりすごい表現だったのだろうなと思います✨
そしてロボットのつくりは置いておいてもいいくらいに、この映画は深くていい話でした。
と言ってもやはり深くていい話を観客に届けるために最大限の表現がロボットに組み込まれていたと感じたので一応作りにも触れたのですが💦
人とどういった関係を築いていくか。
そしてアンドロイドが限りなく人に近づいた時、不死のアンドロイドは何を思うのか・・・?
人は、人と同様の何かを作ったとき、それに対してどう接していくのか。
どこまでいっても彼らは”モノ”なのかーーー?
例えばです。
ルンバですら、長く愛用していると愛着が沸いてくるものです。
今販売されているラボットなんかは、もう”家族型ロボット”というだけあって、かなり可愛らしいロボットです。
ぬいぐるみだって、ずっと愛着をもって一緒に部屋で過ごしたぬいぐるみってなかなか捨てられなかったりしますよね。
それらが限りなく人に近くなった時、私もとても”ただのモノ”とは思えなそうです。
前半の途中、リトルミスの結婚式でスーツを着るんですね。
今この図だけ見た人はちょっと笑っちゃう感じかもしれませんが(^-^;
ストーリーを追っていると可愛くなってきます。
愛嬌ありますよね(*^^*)
彼がどのように人間への憧れを抱き、自分の存在に何を思うのかーーー。
見たことがない人は、是非ぜひ一度見てみてほしいです。
以下、ネタバレが入ります。ご了承ください。
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リトルミス・ポーシャとの出会い そして改良を重ねるアンドリューの思い
あからさまに拒絶反応を示した姉と、親しみを持つようなった妹リトルミス
序盤から注目してしまうのがリトルミスとの関係ですね。
海辺で遊んでいて、ガラスの馬の小物をリトルミスが見ていいよとアンドリューに渡すのですが、
アンドリューの硬い手で滑って落ちて、割れてしまうんです…。
すごく悲しい顔をするリトルミスにもうあっち行ってと絶交されてしまったアンドリューは、その夜、一生懸命彫刻を覚えて海辺で拾ってきた木から割れてしまった小物と同じ形をした木彫りの馬を作って、リトルミスにプレゼントするんです。
こんなうれしいプレゼント初めて…!とリトルミスは喜びます。
この時のアンドリューの気持ちがなんとも、すでに若干うるっときてしまうんですね…。
そして彫刻や音楽に親しむアンドリューの姿、リトルミスと一緒にピアノを楽しむ姿にはやはりロボット以上の何かを感じるのです。
リトルミスの結婚
アンドリューに恋心を寄せるリトルミスですが、親から諭されなどして結局人間と普通に結婚します。
ちょっと残念でしたね。ここは。もしや!??と期待して見てしまっていたので(^^;)
しかし結婚式の後、父リチャードに寄り添って、披露宴でリチャードとリトルミスが躍るシーンを見るのですが、この時のアンドリューの優しさがまた染みます。。。
こうして寄り添ってくれるロボットが家にいることって、もしかしたらいろんな家族の救いになるのかもしれないなぁ…なんて思ったりしましたね。
ミスとリトルミスのように、受け入れられる人とそうでない人が出てくるというのはあるでしょうが…。
それからアンドリューが、リチャードと同じように寂しい気持ちだったからというのもあり、より同じ気持ちで寄り添えたというのはあるのかもしれません。
アンドリューにとっても、成長の過程をずっと一緒に過ごした大切な人なのですから。
自由が欲しい、自由になりたいーーー。
自由を求めるようになったアンドリュー。
家を出て行きたいということではなく、家族として一緒に居たいし、頼まれたらこれからも何でもしたいが、自由でありたいというーーー。
これは切ないですね…。
言ってることはすごくよく分かるからです…。
人間でも、自由になりたいと、既に本来はあらかた自由にできるに思う人も居るのではないでしょうか。
家事ロボットとして始まったアンドリューの中には、そういう気持ちが芽生えるのは自然なことだったのでしょう。
しかし、父リチャードはそれを受け入れられなかったーーー。
反抗されたようで、悲しかったのかもしれませんね。。
出ていけと言われてしまい、アンドリューは本当に家から出て行くことになります。
父の死
アンドリューが海辺に自分の家を建てて、そこで生活するうちにみんな歳をとりました。
そして父リチャードが亡くなります。
このお父さん、本当にいい人で、亡くなる間際に会いにきたアンドリューに、あの時の自分は間違っていたとちゃんと伝えるのです。
リトルミスと同じようにリチャードにとっても、アンドリューはもはやただの家事ロボットではなかったんですね。
リトルミスの死
悲しいことに人間はみんなどんどんアンドリューを置いて歳をとります。
リトルミスが亡くなった時に、
「みんな先に死ぬーーー悲しいけどそれが現実よ」
とリトルミスの孫ポーシャに言われてしまうアンドリューなのでした。
悲しすぎます…(;_;)
歳を取りたくない、死にたくないと思いますか?
自分だけ生き続けるのは、そっちの方が辛いだろうなと私は思います。
リトルミスの孫ポーシャと結ばれて
リトルミスの死後、話し相手が欲しいアンドリューはリトルミスの孫のポーシャのところへ遊びに行きます。
ポーシャと恋をして、アンドリューはより人に近づきたいと理想をもつようになります。
まずは人の体にガワだけ変える改造をしてきたアンドリュー。
しかしもっと人の気持ちを味わいたいと、更なる改造を求めます。
そしてつぎは臓器などを改造し、感覚がさらに人へと近づきました。
この辺りからいよいよ、死ぬこと以外はもはや何も人間と変わらないのでは!??
いう気がしてくるんですね…。
アンドリューは裁判で人間と認めてほしいと訴えますが叶いません。
”死なない”こと、つまり永遠の命は争いのタネになるとーーー。
頭の機能が違うけど心は人と同じだ、臓器移植で機械を組み込んでいるあなた達(そういう時代という設定)と、何が違うんですか??
というアンドリューを見てるのが辛かったです。。。
最後の改良
ある時、長年連れ添ったポーシャが、もうこのまま自然の摂理に従って、私は死にたい(表現はちょっと違ったかもしれませんが💦)と言い始めるのですが、それも無理のない話です。
だっていろいろと皮膚を移植していつまでもキレイに保って、延命装置か何か機械を頼りに人より長く生きて。もうこのくらいでいいやと、思いますよね!??
100年だって長く感じる時もあるくらいです💦
最初はなんでそんなことを言うんだというアンドリューも、次第に自分も一緒に命を終える時がくるようにと、思い出すのですね…。
ここでアンドリューは最後の改良をします。
血を流し込しこみ、何十年後かに自然に機能停止するようにしたんです…。
人になりたい。人として認めて欲しいーーー。
限りのある命を手に入れたアンドリューは、裁判で人であると認めて欲しいと願います。
そしてさすがの議長も、即決は出来ないので時間をくださいと、検討し始めるのですね…。
最後残念ながらその結果を聞けるギリギリ前に、アンドリューは亡くなってしまうのですが、
横で最後まで一緒に生きたポーシャもアンドリューも、
最後まで生ききった…あきらめずにやりきったんだという、そんな感じを受けました。
看護師が、あの改造するときにいつもお世話になる博士の所にいたガラテアというロボットの子だったこともちょっといい最後を飾っているようでした。
ガラテアはずっと改造するたびに彼の思いを見てきているハズですからね。
彼女はまだロボットだったとしたら、彼女にとってはアンドリューが死んでしまうのは願いが叶ってよかった思いと寂しさと、両方なのだろうなと思いました。
ポーシャは延命装置で生きていたのでしょうか、装置を切ってくれとガラテアに頼み、夫の後を追うように亡くなるのです。
アンドリューがどうなるか、最後まで見届けたかったのかもしれません。
アンドリューから学ぶこと
アンドリューはロボットとして人生が始まったにも関わらず、自分で自由を求め、自分で人になりたいと突き進み、最後はポーシャと共に死ぬことを選びます。
自分の命は短いと思いますか?
100年は長いと感じる人、まだまだ生きたいと願う人、それぞれかと思いますしその時々でもその思いは変わるものかもしれません。
ひとつ言えるのは、命に限りがあるからこそ感じられることがあるということです。
一緒に成長し、みんな自分の人生をがむしゃらに生きて一緒に老いていける。
それだけでも十分なのではないか。
そんなことを思う映画でしたね…。
自分でどう生きたいかを、強く願った方へ行動へ移していくこと。
失敗したり、悲しい経験も沢山することになっても、こうだと決めた方へ歩き続ける。間違ったり思ったようにならなくても、軌道修正しながらたまには休みながら、歩き続ける。
自分が望まない人生をなんとなく流れに乗ってとか、そう決められていたから、とか。そういう風に生きるのは辛いですから…。
アンドリューのように、死ぬときに、やりきった…という気持ちでいれたら、
それは幸せなのだろうと、思います。
話が変わりますが途中、アンドリューが、家の玄関前に来た犬を助けるシーンがありました。
アンドリューも動物に優しかったですね✨
アンドリューは基本、人にもめちゃくちゃ優しく紳士なので、”人にも動物にも”ですね(*^^*)
もしこれから見られる方は、そんな姿もどうぞお見逃しなくです(*´ω`)
そういえば少し不思議だったのは、アメリカで作られた映画なのにアンドリューの顔がどうも大仏っぽいのです。
外人ぽくない顔立ちというか、、、そんな感じがしませんか?
ま、それは気のせいかもしれませんが💦
ロボットの造形についての話を最後に少し紹介して終わりたいと思います。
アナトミー・スカルプティング の片桐裕司さん。
映像や造形、3DCGの特にキャラクターをやってる方は知ってる方が多いのではないかと思いますが、片桐裕司さんがこのロボットの制作現場で働かれていたそうですね。
なんでも仕事の途中途中でロボットのパーツが無くなる事件があったとか…(*_*)
すごいことする人が居ますね💦
それだけでなく、こちらでロボットのつくりや当時の出来事のお話が読めますので是非(*^^*)
▼リンクより各感想記事に飛びます▼
いったいこの世界はどこへ向かい、どこへたどり着くのか…!??
SFから、これからも目が離せません♪
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