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病気のこと 現代の生きづらさとは 人生の学び~自分らしく心豊かに生きること~

【発達障害】誰もが大なり小なり凸凹人間



こんにちは。hibikiです。

発達障害当事者です。

とは言え診断されたのはもう10年以上も前の20代の頃の話で、恐らく今診断を受けたら同じように言われるかは分からないところですが…。

というのは、もうそのせいで働けないだとか生活に不自由さを感じるだとかいったことが感じることなく過ごす術をこれまでの経験で身に着けてこれたので、『障害』と思うほどに障害になることがかなり減ったから、です。

とは言え、その気があるのは間違いないのですが。

今回はその『発達障害』についての自分なりの考えを書いていきたいと思います。

広まってきた発達障害 -良い点と懸念点-

先日LINEニュースか何かの記事で(覚えてなくて申し訳ないです…)、

発達障害は障害ではない、という話を読み、一部かなり共感したのが、


『合う環境を見つけ社会に適応できているなら、その特性を持っていたとしても障害ではない』

といったことでした。

ここ数年で、発達障害への認知はだいぶ広まってきていますね。

特に当事者たちにとっては、これは本当に大きな変化だと思います。

当事者が発達障害であることを知るキッカケが増えたり(広まる前は気づかづに長年苦しんで来た方も多かったのではと思います…)、

いろんな発達障害に関する知識の本が増えたことで、対策が立てられるようになったり。

受診に対するハードルも下がったように思います。

それによって社会で受け入れやすい体制が出来てきているかというとそれはまた別の話かと思いますが…

少なくとも当事者も当事者でない方も、知らないより知って、みんなが過ごしやすい、生きやすい社会を目指す。そうあって欲しいと願うばかりです。


しかしそんなことを考える中で、ひとつ懸念がありました。

認知が広まり、診断も受けやすくなることで、


『本来はそのまま社会経験を積んでいけば普通に暮らせて行ける可能性もある人達』や、

『多少の困難はあれどなんとか自力でやっていきたい人達』の未来が逆に狭められることにはならないだろうか・・・?

何でもかんでも『発達障害』とひとくくりにして簡単に診断を下してしまうのは本当にいいことなのだろうか・・・?

そんなことを、よかったなと思う反面考えてしまうのです。

そういう意味では、私は発達障害の認知が広まってきたことで生きやすくなった一人でありながら、

発達障害や気分障害など何でもかんでも障害にしてしまう最近の風潮が、心の底ではあまり好きではないのです…。

もちろん先ほど書いたように発達障害の特性への認知が広まることで生きやすくなっている部分はかなりあると思います。

そしてこれは誰もがそうとは言えないですが、発達障害の特性があることで活かせる部分を活かして社会で機能しているという方も、沢山おられると思います。

私もなんとかかんとか、そうして生きている一人です。

特にこれからの時代、特性を知ることで一人ひとり、特性にあった働き方を開発していくことが出来たら、マドワークや在宅ワーク、兼業や副業という形で今既に実現され始めているように、さらに個々が活きる時代になってくると思うのです。

その時に思うように生きられるよう。

足りない部分をカバーする力も強化していきながら、自分が伸ばせる部分を伸ばしていきたいと私自身も思っています。


診断を受けることで、このようにプラスに働いたり、

もしくは本当に能力を活かすにもなかなか厳しくどうしようもない場合、助けを得られる環境があるのなら、発達障害に関する認知度が上がることや、診断を受けるハードルが下がること自体はいい傾向だと言えますよね。

ですが、本当に危険なのは『発達障害だから普通とは違う教育を』だとか、『発達障害だからコレコレは無理』と予め決めてしまうこと。

それは本当に、避けてほしい状況です。

今芽が出ていないだけの場合もありますね。

もしくは正しい知識による適切な努力が出来ていなかっただけの可能性もあります。

『自分はダメだ』とか、『うちの子は特殊だから』と、未来を狭めないで欲しい。

そういう風に繋げるのではなく、

適切なサポートを受けることや、苦手をリカバリーする方法を身に着け長所を伸ばし続けることに向かっていけたらと願います。

そして大事なのは『発達障害』の特性があるように感じられても、そこばかりに注目しないことだと思うのです。

『そういうところがある』という風に、それは『自分の一部』くらいに思えるところを目指せたらいいなと思います。

『発達障害グレーゾーン』という言葉があるくらい、それはどこからどこが障害で、どこからは定型(と発達障害でない人を言うらしいです)なのかなんて、ハッキリとした境界がある訳ではないのです。

どういった特性が当てはまったらとか、傾向のようなものは、発達障害同士では共通する部分は沢山あります。

それが全くない、といった点で真の『定型』と呼ばれる方はもしかしたら居るのかもしれませんが、私が関わってきた人達の中で、これまで地元から埼玉・神奈川・東京といろんな土地に住み、学校・大学・会社3社とそれからボランティアや趣味・病気で知り合った方々とで、かなりの数の人と関わってきたと思うのですが、

本当にまったく何も困ることがない、ひとつも発達障害の特性に当てはまる部分がない、という人には会ったことがありません。

とは言えやはり傾向として『ほぼないに等しいように見える』人は居ます。

注意したいのはハッキリとした境界はないからと言って、じゃあそういった診断は受けていないけど頑張っている人達や定型の人達だって頑張って何とかしているのだからそんなものだとか、努力が足りないとかは絶対に言ってほしくないです。

恐ろしい程の努力をしてもどうにもならないこと。

障害がない人よりは間違いなく、人に受け入れられずらかったりイジメられやすかったり、仕事を覚える困難さだったり、当たり前にみんなが出来ることが出来ない苦しさに、本当に困って困って辛い思いで診断を受けたり、ひどいと病気になってしまう場合が沢山あるからです。

私もそのひとりでした。

ここで言いたいのはそういうことではなく、

『差別的な感じで捉えないでほしい』といったことなんです。

みんなスタート地点は同じじゃない、持っているものもみんな違う。

そのひとつとして発達障害もあるということ。

生きにくさを少しでも解消する手立てとして診断を受けたら適切なサポートを受けたり対策を立てることは大事だけれど、そこでいろんなことを諦めてしまったりといった風潮が広がるのは少し悲しいなと思いました。


その辺りをこれを読んで頂いている皆様に投げかけ、少しでも沢山の方に考えて頂くことで、より多くの人が日頃関わる人達の個性を認め合い、補い合って、誰かだけが困るのではなく、お互い助け合って生きていける、そんな世の中を目指すための行動の一歩となればと思います。


シロクマ先生の-「よく発達した発達障害」の話-を読んで

今朝、本当にたまたまなのですがシロクマ先生の『「よく発達した発達障害」の話』という記事を読みました。

シロクマ先生は精神科医だそうです。

シロクマの屑籠』というブログを書かれています。

シロクマの屑籠
はてな村から引っ越してきた精神科医シロクマ(熊代亨)のブログです。

私は実はこのブログの他に主に4コマ(たまに1コマ)漫画の投稿をしているnoteと、そして先日『はてなブログ』にも手を出し、不定期で更新しています。

(こういう思い付きでいろいろ広く手をつけてしまうところも発達障害によくみられる傾向のようですが(^-^; 。。。はてなブログの仕組みを知りたくて始めたところ結構面白くて続けている次第です。)

そこで人気の記事をポツポツと見ていたところ、目に入ったのがこの『「よく発達した発達障害」の話』でした。もう4年程前の記事のようですが。

シロクマ先生のブログは他の記事もどれを読んでも面白く、勉強になり、愛読ブログのひとつになりそうです。


少し話が逸れましたが、記事を読んで思ったのは、とにかく共感!!!ということと、こういった視点でしっかり見てくださっている先生がいると思うとうれしくて、これは自分のブログでも是非紹介させて頂きたいと思ったのでした。

「よく発達した発達障害」の話の冒頭の方に、『社会に溶け込んでいる「発達障害と診断され得る」人々』とあるのですが、これがまさに自分自身のことでした。

(とは言え私はだいぶ昔に診断を受けているので、「診断され得る」とは違うのかもしれないですが、正直今診断を受けたら本当に発達障害と言われるかどうか、、くらいの感じには、大変ではあれどほぼ支障なく社会生活を送れているという点でこう書きました。)

そのあと中盤で書かれている『人生の分岐点で「たまたま精神科を受診し、発達障害と診断」される人達』についての記事に、本当に心から、こういう先生がいることがありがたい…!と思ったのです。

発達障害に苦しむ当事者の方の中には、私のようにこの文を読まれただけでもだいぶ心強く思う人も中にはいるのではと思いました。

そして、関わる周囲の方々も、そして診断する側の医師やサポートするカウンセラーの方々にも、是非こちらの記事を一読して頂けたらと思います。

そして最後の、『社会のなかでサバイブしている人達』という言葉。

まさに…!!!なんです。

コロナ以来のリモートワークによって、人込みに強制的に出て行かなければいけない出勤、行きかえりの体力、削られる睡眠時間、苦手なプレゼン、いろんなやりとりでなかなか作業が進まないことも多いことや、作業より話合いが多いことでの疲労(話し合いや会話が嫌いなわけではありません、単純にどちらが疲れやすいかといった話です)などのストレスが半減され、だいぶ解消したものの。

働き始めてからずっと、まさに『サバイバル』そのものだったように思います。

いつも体力・精神すべてギリギリ。

帰ってきて余力などあると思うな。

それが自分の中の常識でした。

もちろん、そんな中頑張ってきてよかったと思うことも多いです。

ですが、どうにもならない困難さを感じることは本当に多かったのも事実でした。

しかしそれで、お前はダメだ、とせず。

こうして『十分やっていける人』として病院に来たとしても対応してくれる医師がいることがどれだけ心強いことか。

本当に診断を受けてサポートを必要とする人ももちろんいます。

先生が言うように、『個人それぞれが自分自身の性質と社会との折り合いをどこまで・どんな風に社会的に成長させてきたのか』をしっかり見ながら、これからを考えることが私も大切だと思います。

本当にいろんな特性を持ったひとがいるーーー。

どうか発達障害の認知が広まることで、壁が出来ませんよう。

ひとくくりにせず。

あくまでひとりひとり、それぞれ違う特性があることや

生きてきた土台やステージも全部違うこと、それらすべてを含めてそれぞれが力を伸ばしていけるような社会になることを願って。

私もこれからも社会でサバイブしていこうと思います…!

こちらは先生の書かれた本です。

健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて

「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?

先生のブログ『シロクマの屑籠』を知らなかった方はまずブログを読んでみることをオススメします。

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